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代表インタビュー

アグリスマイルが目指す 安心安全で持続可能な農の未来とは 

~代表取締役・目黒英斗インタビュー~

アグリスマイル代表取締役の目黒英斗が起業したのは、17歳のとき。 当たり前といえば当たり前だが、当時は、都内の高校に通う高校生だったという。

いったいなぜ、現役高校生が農家になろうと思ったのだろうか。 2021年現在、ようやく20歳になった目黒に、農にかける思いを語ってもらった。

両親の離婚を機に、祖父母の住む田舎へ

祖父は農業の師匠であり、良き相談相手であり、いちばんの理解者

目黒英斗は、都会のど真ん中で生まれ、幼少期を過ごした。ごく普通の、どこにでもいる都会の子どもだったという。ところが小学2年生のとき、両親が離婚したことが、目黒の人生を大きく変えていくことになった。離婚後、母方の実家がある藤野町(現・相模原市 緑区)への引越しを余儀なくされたのだ。
そこは、これまでの生活環境とはまったく異なるまちだった。周りを山に囲まれ、繁華街などない、静かな場所。都会から田舎へと、暮らしの環境は180度激変した。そして、祖父母が家の目の前で畑をやっていたことが、目黒が農に興味をもつきっかけになった。

いつのまにか、僕も畑を手伝うようになりました。機械や乗り物が好きだったので、最初は耕運機に乗せてもらったり、操縦させてもらえるのが楽しくて手伝い始めたところがありましたね。

 

祖父母は専業農家というわけではなかったが、農業歴は長く、プロ顔負けの技術をもっていた。特に祖母は、生家が代々いんげんをつくる専業農家だったこともあり、専門的な知識が豊富だった。目黒はどうすれば野菜がよく育つか、天候をどう見極めるのか、資材をどう使うのかなど、手伝いをしながら農業に必要な技術と知識を、自然と身につけていったそうだ。

一方で、家庭環境はなかなか安定しなかった。

中学に上がる頃、仕事の都合で母親が都内で暮らすことになって、僕はひとりで藤野に残りました。父親はずっと音信不通だったんですけど、中学の社会科見学で行ったある展示会で、偶然、再会したんです(笑)。そこからまた連絡を取るようになって、今は一緒に仕事をしたりもしています。「複雑な家庭環境だね」とか「大変だったね」とよく言われますし、実際、精神的に大変だった時期はありました。
でも、そのおかげで今の僕はスーパーポジティブで、嫌なことがあっても寝るとすぐ忘れちゃうんです(笑)。それって、もともとこういう性格だったからじゃないんですよね。子どもの頃は、今とは真逆な内気なタイプでした。そこは、家庭でいろいろあったことで鍛えられたんだと思います。

 

好きなことを考えたり、もくもくと作業をこなすのは小さい頃から好きだったという目黒。そこにポジティブさが加わったことで、行動力も発揮され、現在の目黒の素地は、少しずつ出来上がっていった。

ほかの人がやらなくなる仕事ってなんだろう?


大の乗り物好きだった目黒は、地元の中学を卒業後、池袋にある昭和鉄道高校に進学した。生徒の8割は鉄道関係の企業に就職するという、極めて専門性の高い高校だ。

最初は鉄道関係の企業に就職するか、旅行業の資格をたくさんとれる学校だったので、旅行関係の仕事をするのもいいなと思っていました。でも僕は、みんなが同じ方向を向いていると、つい「面白くないな」と思っちゃうんですよね。それで、みんなと違うフィールドに行きたくなってしまいました。じゃあ何がいいかなといろいろ考えた結果「よし、会社を立ち上げよう!」っていう結論になりました。

 

ではどんな事業で起業しようか。そのときに真っ先に頭をよぎったのが、小さい頃から身近にあった農業のことだった。
農業は後継者不足が指摘され、若者が好んで選ぶ職業とは言い難いところがある。毎年同じように作物が実ってくれるとは限らず、重労働で、気候や災害にも影響されやすい。事業を立ち上げるという意味ではリスクも高いのではないだろうか。

いえ、むしろその逆です。僕にとって農業は、敷居がすごく低いものでした。家の目の前にはすでに畑があるから農地の心配はないし、子どもだったとはいえ、毎年手伝っていたのである程度の栽培のノウハウもある。それに、ITみたいにこれから 伸びていく業種は、仕事がたくさんあるかわりに、それをやる人もどんどん増えていきます。それよりも「ほかの人がやらなくなる仕事ってなんだろう?」って考えてみたら、やっぱり農業は最強なんですよ。
たとえば今、野菜の値段はどんどん高くなっています。でもみんなが必ず食べるものだから、どれだけ高くなっても売れなくなる心配がありません。農業って衰退産業みたいに言われていますけど、僕はむしろ、農業こそリスクが少なくて可能性がある産業だと思っています。

 

目黒はまた、電車で旅に出るたびに、車窓から見える広大な耕作放棄地を見て、ある思いも抱いていた。

耕作放棄地って、誰も使っていない土地ですよね。だとしたら、固定資産税を払う代わりに農地を貸してもらうことは、理論上はできるんじゃないかと思いました。
それができたら、お金をかけずに農地を広げることができて、農地が広げられればビジネスとして成り立って、耕作放棄地の問題解決にもつながって、一石二鳥だな と思ったんです。

 

「17歳だからこそ、たとえ失敗してもいくらでもやり直せるだろうという楽観的な気持ちもあった」と目黒は振り返る。そして背伸びはせず、無理のない範囲を心がけた。最初に用意した資金はたったの30万円。さまざまな届出の費用と、最低限の資材と種、ネットで安い中古の耕運機を買ったのがすべてだった。

スーツを着用で、飛び込み営業する日々


最初に栽培したのは、暑さに強く、栽培が比較的簡単で、単価も高いオクラだった。これが想定以上の大成功で、かなりの収量が確保できた。
とはいえ、就農1年目。取引先はまだない状態だ。そこで目黒は、スーツを着て東京や神奈川の各地を巡り、野菜を置いてくれそうな店を見つけては飛び込み営業をした。当然、冷たくあしらわれることが多いのだが、スーパーポジティブな目黒はへこたれず、毎日毎日、あちこちを営業して回っては「食べてみてください」と試食のオクラを置いていった。すると、少しずつ取り扱ってくれるお店が現れ始めたのだという。そのときつながった取引先の中には、今、いちばんのお得意様になってくれているところもある。
結局オクラは、50坪ほどの小さな畑にもかかわらず、500キロを収穫し、完売。売り上げは60万円を超えた。

全部売れたからすごいといえばすごいんですけど、1年目の売り上げは、その60万円だけでした。僕は高校生だったから、生活費はまだ親が出してくれていたし、資金も最低限で始めたから問題なかったんですけど、やっぱり農家が最初から食べていくのは大変だっていうことはよくわかりました。

 

大豊作でも60万円。それはつまり、この面積ではそれ以上の売上をあげるのは難しいということを意味していた。農家として自立するためには耕作面積を広げ、収量をあげていかなければならない。そこで2年目以降、自宅近くにもう1箇所と、ご縁のあった群馬県でも農地を購入した。

特別栽培は「ちょうどよい」野菜


目黒には、農業で起業すると決めたときから、変わらない思いがある。

僕がアグリスマイルでやりたいと思っていることはシンプルで「安心安全な野菜を安定的に供給する」っていうことなんです。

 

自然に囲まれ、畑で野菜の世話をしながら育ち、無農薬の野菜を食べ続けてきた目黒は、本能的に「安心安全」であることの大切さを感じてきた。しかし、自然栽培や無農薬栽培は、収量が少なく不安定な側面があるため、安定供給がしづらいという課題がある。
そこでアグリスマイルでは、特別栽培の野菜をメインで育てることにした。特別栽培とは、その地域で通常使用されているよりも半分以下の農薬や化学肥料で育てられている野菜のことだ。

日本には有機栽培以外には特別栽培という基準しかありません。だから、通常の半分の農薬使用でも、1回だけ農薬を使用した場合でも、同様に「特別栽培」と記載されています。そこが歯痒いところではあるんですけど、アグリスマイルでは、病気になりそうなとき、もしくはなってしまったときにだけ農薬を散布させてもらう、という最低限のラインでやっています。

 

本来、自然栽培であればもっとも安心安全ではある。けれども、万が一病気が発生したり、うまく育たなかったりした場合、事業としても成り立たなくなるし、そもそもお客さんに野菜を届けることができなくなってしまう。それでは結局、安心安全な野菜を継続的に食べてもらうことにはつながっていかないと目黒は考えた。

それに、自然栽培だと値段がどうしても割高になってしまうので、敬遠するお客さんも多いんです。だから僕は、アグリスマイルの野菜は、今まで慣行栽培の野菜を食べていた人たちに買ってもらいたいと思っています。そのためにも、慣行栽培と同じぐらいの値段で出せるように頑張っているところです。高価な自然栽培の野菜にいきなり変えるのは難しくても、特別栽培なら慣行栽培よりは安心して食べてもらえますし、ひとりひとりの健康にも寄与できます。

 

特別栽培であれば、安心安全と安定供給を担保しながら収量をあげ、価格を抑えることができる。その意味で、特別栽培は「ちょうどよい」野菜だと目黒は考えている。

多拠点農業の展開で安定供給を目指す

アグリスマイルの群馬農場

アグリスマイルでは、安定供給の実現のために、そのほかにもいくつかの取り組みを始めている。ひとつは先述のとおり、神奈川県相模原市のほかに、群馬県にも約2ヘクタールの農地を取得したことだ。

神奈川県と群馬県では、だいたい2週間ぐらい気候が違います。神奈川のほうが2週間、春が早くて秋が遅い。だから同じものをつくったとしてもピークをずらすことができるんです。そうすると長い期間、同じ野菜を市場に出荷できるようになります。それに、今は災害が増えていますけど、万が一被災しても、拠点がいくつかあると全滅は免れることができます。台風で神奈川の畑が全滅しても、群馬の畑から出荷することができるようになる。どこかがうまくいかなくてもどこかでカバーできるというのが多拠点の利点で、それは取引先からの信用にもなると思います。

そのため、今後もさまざまな地域に農地を取得し「多拠点農業」を展開したいと目黒は考えている。とはいえ、神奈川と群馬だけでも、移動と農作業でかなりの負担となっている。目黒ひとりではこれ以上の事業拡大は難しい。そこで、ともに理念を実現する仲間を増やすために、アグリスマイルでは研修生の受け入れを開始した。

アグリスマイル研修生第1号の牧野さんは、現在は独立し、群馬農場を任されている

若干17歳で農業生産法人を始め、着実に収益を上げているということで、目黒は農業セミナーでの講演を依頼されることがある。そして、その講演を聞いて連絡をくれた人の中から、現在は2名が研修生として目黒の元で農業を学んでいる。
国から助成金が下りるため、さまざまな農業生産法人が活用している新規就農研修生制度。ただ、実際にやるのは野菜の袋詰めや配達ばかりで、技術的なことはほとんど学べないという場合も多いのだそう。農家の人材不足を補うために活用されているというのが、 残念ながら実情なのだ。

うちでは種まきから植え付け、ハウスの部材の組み立て方、収穫や袋詰め、JAへの納品や配達に至るまで、全部一緒にやって覚えてもらっています。最低限こういう流れがわからないと、たとえ農家になってもなかなか収入には結びつかないからです。うちとしては、研修生がいてくれるおかげで作業の効率が上がって労力的なところですごく助かっていますし、研修生も、農家としてのノウハウをきちんと学べるから喜んでくれて、win-winでやれてるんですよね。

 

目黒は、持ち前のリサーチ力とネットワークを生かして、初期投資を抑え、持続可能な形で就農できるよう、農家に必要不可欠な車輌や機材、資材の購入、家や農地の取得に至るまで、あらゆる面から研修生をサポートしている。
その先には、多拠点農業の拡大と実現という夢がある。たとえば、アグリスマイルの社員として畑を任せたり、フランチャイズ化してネットワークを構築していくことを考えているのだそう。現在も群馬の畑は、目黒の指導のもと研修生に常駐して世話をしてもらっており、研修終了後は、完全に任せる予定だ。

いずれは事業規模を拡大してフランチャイズ化し、段ボール箱にアグリスマイルという名前を入れて販売したいと思っています。うちの栽培方法や規格でやってもらえることは前提に、アグリスマイルブランドの野菜ということで、その箱を使って市場に卸してもらう。全国的な出荷組合をつくるイメージですね。
判断基準は「かかわるみんながwin-winであること」


そしてもうひとつ、目黒が手掛けているのが「中間流通」だ。

起業してまもない頃、目黒は地元・藤野とその周辺地域でオーガニック野菜を育てる農家たちの朝市「ビオ市」とのつながりができた。そこで、おいしい野菜をつくる技術のある農家が、営業や販売が苦手なために、売り先が見つからず、野菜を余らせている現実を目の当たりにしたのだ。

アグリスマイルでは、野菜が欲しいっていう取引先がたくさんあって、出せる野菜が足りなくて困っているぐらいでした。それで、余剰野菜を引き取って、アグリスマイルで売らせてもらうことにしたんです。うちは、間に入って自分の野菜と一緒に届けるだけで利益になりますし、取引先も野菜が仕入れられるから助かります。農家さんも売れずに余っていた分が収入になるからすごく喜んでくれます。みんながwin-winなのが中間流通のいいところですね。

 

多拠点農業に中間流通を組み合わせることで「安心安全な野菜の安定供給」はますます実現可能になる。そして、かかわる人みんながwin-winだからこそ、循環の輪が出来上がり、それは持続可能な仕組みになっていく。

自分だけが儲かればいいやと思ってやっていたら、絶対にその事業は長く続かない。だから相手とwin-winになっているかどうかというのが、僕が仕事をするときの判断基準になっているような気がします。

 

地域の友人知人や研修生、家族など、気づけば仲間がたくさんいた

そして、いずれはこの持続可能な循環の仕組みに、消費者も参加してもらいたいと考えている。

農のテーマパークをつくって、誰もが土に触れ、農業を体験できる場を提供していきたいという夢もありますね。これは農業だけに限らないんですけど、生きていると、なにげない「はてな」って結構あると思うんですね。たとえばきゅうりなら、まっすぐのものが3本入ってパッキングされてスーパーで売られていますよね。でもその影で、曲がるきゅうりは破棄されて、無駄になっている現実がある。生産している場やどうやってつくられているのかという原点を知ってもらうことで、食べ物の大切さに気づいてもらい、無駄なく食べてほしいと思っています。

 

知ること、体験することで、消費者の意識も変わる。消費者の意識が変われば、求められる野菜や農業のあり方もまた、変わっていく。

目黒は「会社をやるということは半分は社会貢献だと思っています」と話す。だからこそ大切なのは、それが社会に役立つ事業であるか、社会の課題解決につながるものであるかどうかということ。

農業は、目黒の日常にあるものだった。そして耕作放棄地をはじめ、さまざまな課題を自分ごととして感じてきた。農業での起業を選択したことは、とても必然的な流れだったのかもしれない。

多拠点農業、中間流通、アグリスマイルのブランド化、テーマパークづくり…。 安心安全で持続可能な農の未来に向けて目黒のビジョンはこの先ますます広がっていく。

インタビュー・執筆:平川まんぼう/写真:袴田和彦

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